思いやり、気遣い、その裏の我慢。

《過去にメモったまま放置していた文章をアウトプットしとこうシリーズ⑫》

相手のことが好きだから

我慢する、

無意識の内に我慢してしまう、ということもあって。

 

それは我慢とすら認識してない、

合わせる

思いやる

気遣う

といった感覚であったりする。

 

それらの感覚は

とても素敵なものだよね。

(と、私は思う。)

 

でも、昇華を重ねていくと、

そういった感覚の裏に微々たる我慢が潜んでいることが

(自分の中に)見えちゃったりする。

 

合わせる、思いやる、気遣う、

そういったことが私は好きだったし、

だからこそ、

自然と、自動的に、それらが「できるように」努めてきた面もあると思う。

 

その裏側の、微々たる我慢に気付いた時、

私の内に問いが生まれた。

 

 

純粋に、内にある相手への尊敬や愛情を表現するのに、

 

私は相手を、ニュートラルな目で見ていたのだろうか。

 

 

小さな我慢が降り積もって、

目を曇らせていたのではないだろうか。

 

そんな自分に気付いたら、ここからが大事なとこで。

 

無意識的だった自分の行動に気付いていく。

意識的になる。

 

 

鍵は、信頼。

自分への信頼と、相手への信頼。

 

我慢しない勇気は、そこから。

 

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