その昔、傲慢というエネルギーが在った。

《過去にメモったまま放置していた文章をアウトプットしとこうシリーズ①》

自分以外の全てを見下し、バカにしている、

恐ろしいほどの傲慢が自分の中にずっと、常に在った。

 

それは常に源を、宇宙の法則を、真理を感じ、

そして自分は「それ」であると、

無意識の内に知っていたから。

 

しかしそれは、無知であった。

片手落ちの知であった。

 

自分以外もまた、「それ」なのだから。

 

けれどそこを知るには体験が必要だった。

そこも含めて、ただ、源の片鱗であり、体験であった。

 

そして傲慢は、抑圧を解放するエネルギーの動きでもあった。

 

源に気付かぬフリをし続け、抑圧をし続け、その方向(抑圧)に振り切ると

今度は並走するようにブレイクスルー(突破、解放)するエネルギーが

生まれ、動き出す。

 

そのエネルギーの使い方を、単純に知らなかったとも言えるし、

試行錯誤していたとも言える。

 

源の片鱗のまま、ただ在るだけで本当はよいのだろうが、

そこに至る変遷として、傲慢という形を取った。

だから傲慢が在った。

 

私は全てを知っていてもよく、

同時に何も知らなくてもよく、

スマートにそつなく在っても、バカでも、天然でも、賢くても、

無駄でも、無意味でも、

 

何が現れてもそれらは全て源であり、

良いも悪いもない。

 

そして、私以外の存在も、全く同じである。

 

私も、私以外もなく、全ては、源。

 

全てが愛で、尊く、信頼でしかない。

全てが。

全てが。

 

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