《過去にメモったまま放置していた文章をアウトプットしとこうシリーズ⑬》
ある出来事から、
私の中で自己嫌悪感や自分を責める感覚が噴出していたので、
私はそれを全身で感じきっていたんだよね。
噴出する自己嫌悪感に
ぐわーーーっと集中して、それを全身で浴びていたの。
家で死体のように転がりながら。
今そういう状態なんだ、と
床に転がりながら
出来事の詳細も含めてLINEで(仕事中の(笑))旦那さんにシェアした時、
そんなちいさいことでも内観すんの?と驚かれ(笑)、
全くもって自己嫌悪しなくていい状況だよね?と言われ(笑)、
(状況としては、誰にも責められてないし、
むしろ調和した現実が展開されただけだったからね。)
その調和した現実があるってことは
それだけあなたがあなたをゆるしてるってことなんだから、
むしろすごいんですけど、と。
そういう世界が創れてることの方に目を向けたら、
それで済む話じゃないの、ってことだよね。
まあ確かにそれはそうだな、と答えました。
そういう視点もあるな、と。
そして思ったんだよね。
私は私の中で起こることに、抵抗感がないんだな、と。
そしてセンサーも全開気味。
抵抗感がないだけに、そのセンサーに引っかかって見ちゃったものは、見逃せない。
現実には何の問題もない。
問題なんて何もないねー、完璧だねー、で済む時はもちろん、それでいい。
そこで噴出が止むとか、何もないなら、そこで終了。
だけど、私の中で噴出している自己嫌悪感は、
確かにそこで噴出しているわけですよ。今回のケースでは。
こうなったら、
問題があるかないかが問題じゃない。
現実はただのきっかけでね。
現実の完璧さに目を向けることも確かに大切。
ただ、そのことを使って私の中で噴出しているエネルギーに蓋をすると、
後々大惨事になることを私は知っている(笑)。
だからか、
出たものは出たままに見つめる、っていうことが、
もう当たり前になっちゃってる。
前にセッションの中で、
尿意と一緒ですよ。
って言ったことがあるんだけど。
尿意ってそれ自体、良いでも悪いでもなく、生理現象でしょう。
ただ出ようとしてるんだから、出さない理由ってないよね。
私の中で起こることは、生理現象と同じ。
素晴らしいドラマを見て楽しんで、
でも尿意があればトイレ行くよね。
そこ無視し続けたら
病気になるよね。
で、まあ、
今回の自己嫌悪感を感じきって、
過去の体験から身体に残留していた微々たるエネルギーたちが昇華されてゆき、
また一層身軽になり、
そして改めて関わってくれた人達と、
調和した世界に
感謝と愛が溢れてきたわけです。自然と。
自分へも、言葉をくれた旦那さんへも。
こうやってまた開いていくんだ、
私の世界は。
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