§2 幸せは「感じる」もの

幸せって、なんでしょうか。

と、前回記事で書きました。

過去の私が

幸せでありたいと強く願った、ということも。

 

幸せって……「感じる」もの

ですよね。

 

あ、ご存知でした?(笑)

 

過去の私は、ご存知なかったです(笑)。

ご存知なかったからこそ、

遠回りにも見える体験をしてきたわけですねー。

(その体験の一つ一つが今や財産とも言えますが。

人生、ほんとは常に、最速ですね。

渦中はそんなふうに思えませんでしたけどね!)

 

幸せは「感じる」もの。

「本当の意味で」これを腑に落としている人が

一体どれだけいるのだろう、と最近はふと思います。

 

精神世界、内的探究、自己啓発…そういった分野に多かれ少なかれ関わっていますと、

(いやそうでなくとも、)

幸せになりたい。

幸せでありたい。

という方は、まあ、結構いらっしゃいます。

 

だけど結局、自分を取り巻く情報や、環境、状況、そういったことに振り回されている。

自分の内側、ではなく

自分の外側を一生懸命見ている。探している。

 

「幸せってなんでしょう。

幸せは感じるものです。」

ここに込められた本当の意味は、

 

シンプルで、「ただそれだけのこと」で、

でも、みんながすぐに忘れてしまいがちなこと。

 

***

 

漠然とした幸せのイメージってあるでしょうか。

いわゆる、世間的な、一般的な。

 

女性だったら、

いい学校入って、いいお友達ができて、そこそこ勉強も運動もできて、

いい大学行って、

安定した企業に就職して、そこそこいいお給料もらって、

素敵な旦那様を見つけて結婚して、

元気な子供を産んで…

 

おおお、書いてて「ジュラ紀?白亜紀?」みたいな気分になりましたが。

まあ、いい。

 

お話し会なんかでたまに話しますが、

過去、私も、がんばりました、そのへん。

世間的な、一般的な、良しとされるイメージ像に向かって。

 

がんばった結果、

 

そこそこいい大学に入れまして、

そこそこいい企業にも入れました。

技術職だったので、お給料も良く、

順調に出世もしました。

おしゃれして、美味しいもの食べて飲んで、海外旅行も楽しんで。

恋愛もして。

 

そこそこのステイタスに、お金、外見。

 

耳ざわりのいい、状況でした。

 

「自信のようなもの」が、あったと思います。

「ようなもの」であって、自信ではなかったのですが。

(どんなに努力を重ねても、どんなに評価されても、常に自信の無い私がいましたから。)

 

今思えばそれは、

「きっと親が喜ぶだろう」という状況を、揃えたのでした。

(実際のところ、親は そうしてくれ なんて言ってないんですが(笑)。)

 

がんばって揃えてみて、

 

ある時ふと気づいてしまったのです。

 

 

私、今、幸せじゃない。

 

 

えええええええええええええええええ

 

ってなりました。

 

これはどういうことだ?と。

 

世間的に「これを揃えたら幸せだよ」というものを

一生懸命、身体にも心にも鞭打って揃えてみたら、

 

幸せじゃなかった!のです。

 

は??? & きょとん、ですよ。

 

全然心が満たされてない現実だけが、そこにありました。

 

 

でも。

 

気づいてよかった。

 

この気付いた瞬間が、

私の視線が、見る先が、外側から内側へ切り替わった瞬間だと思います。

 

自分の本音を拾えた瞬間。

 

どういうことだ?

おかしくない?

どうなってんの?

っていう素朴な疑問を拾えた瞬間。

 

問いがあれば答えがあるのです。

 

この瞬間から、私は幸せになるしかなかったのです。

 

いえ、正確に言えば、

「幸せを感じる感度」を、取り戻すしかなかったのです。

うん。

 

***

 

「条件」を揃えてもね、幸せじゃない。

過去の私のように。

 

こうなったら、幸せに違いない。

これができたら、これが手に入ったら、これが分かったら、幸せになれるだろう。

それは、本当ですかね?

何でそう思うのでしょう。

何でそう信じているのでしょう。

 

何かができない私、何かを持っていない私、何かを知らない私は、幸せになれない?

 

何でそのままで、今すぐに、幸せになってはいけないんでしょう?

 

(分かり辛いかもしれませんが、そのまま書きます。)

幸せは「成る」ものだ、と。

今の状態から、何かしら変化を経て、「成る」ものだ、と

「達成する」ものだ、と

もしかしたらまだ多くの人が、そう信じてやまないのかもしれません。

 

 

幸せは「成る」ものではありません。

幸せは「感じる」ものです。

 

 

幸せは「固形物」じゃない。

『幸せ』っていう名前の固形物がどっかに ごろん って転がってるわけじゃない。

 

幸せって、心で、身体で、「感じる」んですよね。

「は~~~~、幸せだなあ~~~~」って。

感じることそのもの、感じているその瞬間を、幸せと呼ぶとして。

 

感じる、をどこでやるのかと言ったら、

自分の心であり、身体であり、自分の内側。

 

 

おうちで家事をすると満たされる人がいる。いらいらする人もいる。

きっちりした企業で成績を上げることに満たされる人もいる。ストレスを抱える人もいる。

結婚して満たされる人がいる。傷つく人もいる。

起業して満たされる人がいる。憔悴する人もいる。

…外側の条件=幸せ、じゃない、ですよね。

 

 

なんだか今、幸せじゃないな…という時、

 

まず観るべきは、目を向けるべきは、

自分の内側。

心、身体。

感情、感覚。

 

そこにしか、感じる、が生まれる場所はないのだから。

そこにしか、幸せが生まれる場所はないのよ。

  

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